古/いにしえの面影       其の五百八拾壱

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 撮影日  2009年09月19日 土曜日

岐阜県瑞浪市細久手宿(中山道)

海抜420メートルの山中に発達した、
江戸から48番目の宿場は、東北から南西方向に緩い
下り坂が一筋に延び、その長さは400メートル余り(3町45間)。
 慶長15年(1610)に設置され、江戸時代後期の天保14年(1843)の記録によると、戸数65軒を数え、うち24軒が旅籠を営んでいた。

(大黒屋さんHPより)
名古屋からここまでが尾張藩??


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

一日中山道と思うほどの
街道を大湫宿から行けば〜
いきなり開けた所に着きました。

※エエ感じの
御家が出迎えてくれました。

庚申堂が町の
東側に〜

※寛政10年(1798年)銘の
灯篭も〜

少し高台に
庚申堂は有ります。

※地蔵様と
古の旅人や、宿場、お堂守の方の
墓標でしょうか?

説明板も整備されて

※手水鉢もコナレテいて。。

中は覗きませんでしたが…
思い出しますね〜
『俺がこんなに強いのは
当たり前だのクラッカー。。。』
(藤田まことさんと白木実さん)
がこんなお堂の前での実演CM)

※お地蔵様が物言わずに。。

トタン被せ家屋も
街道沿い。

※空き地になったところも〜

妻入りの傾斜の緩い広い屋根
街道自体が坂の中〜

※コナレ板に皮膚病の薬、はっとり薬局・
化学肥料・塩・たばこ
等のコナレ看板。。路地アイテム!

有りました!
個人的に好きな
鰯の頭も信心から。。

※山行きの路地?

2階部分の窓の高さが
低いのは街道の名残〜
案外、抜け道なのか?
車の通りが多いんですわ!

※街道の面目躍如!
絵に成る部分。。
Kさん如何??


東海自然歩道の一部。
是非一度、自転車か歩きで
来たいものです〜

※自治会館。

千鳥格子はないけれど
手前の御家も中々です。
2階部分の高さから考えたら
新しいんでしょうが〜

※見返れば〜
小さな坂の上の雲状態。。

 細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、
他領主との合宿を嫌った領主尾洲家が、
問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、
尾州家本陣大黒屋のはじまりである。
(HPより)

※登録有形文化財
コスモス揺れて秋模様〜

看板は新しいが
ひさしに染み付いた
時代の年輪

※看板といえば
おお〜F4

表玄関です

※ガラス戸を開けたら〜
衝立が。。

本卯建

※おばちゃん

どちらも名物看板!?
いつまでもお元気で〜

見返しても
溜息が〜

※本陣跡。。

今有る御家は違うんですと。。

※ススキが手を振ってました。

手摺付いた二階部分も中々
エエンデスワ。

※昔の面影も〜

往時は賑わっていたんでしょうが〜

※力石?かとも思ったのですが〜

やはり千本格子が
似合います。

※でも、大湫宿との違いは
注連縄が玄関にないことです。

現在と伝統の
コラボレーション。
地域性のエエ所を
残してくださいね。

※枝道に池も〜

池の横には
此処にも井戸が〜

※竜神さん?
被せの蓋に
塩が盛られてました。

サイディング蔵
イメージを
残してくれています。

※宿場の裏に
水路が〜
昔は下水は此処に??

ホウノキに
現在の道標が〜

※村社日吉・愛宕神社
森の中に〜

足つきの神明鳥居
奥に本殿が〜

※前はニャンコの
溜り場。。


明治44年建立の
石標
村社の文字はコンクリで埋められている〜
歴史遺産としては考えもんです。

旧漢字の岐阜県
弁護士の文字は
今でも使われている方が〜

ニャンコに遊んでもらっています〜^^

※表と裏と〜

漆喰無しの土蔵も好きですよ!
コスモスも手を振って〜

※軒下の拘り
綺麗な腕木の曲線

袖壁横の
空間は展示スペース。。

※中々〜よろしいなぁ。。

萩の花に秋の気配。。

※又来ますね!
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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