一日中山道と思うほどの
街道を大湫宿から行けば〜
いきなり開けた所に着きました。
※エエ感じの
御家が出迎えてくれました。
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庚申堂が町の
東側に〜
※寛政10年(1798年)銘の
灯篭も〜
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少し高台に
庚申堂は有ります。
※地蔵様と
古の旅人や、宿場、お堂守の方の
墓標でしょうか?
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説明板も整備されて
※手水鉢もコナレテいて。。
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中は覗きませんでしたが…
思い出しますね〜
『俺がこんなに強いのは
当たり前だのクラッカー。。。』
(藤田まことさんと白木実さん)
がこんなお堂の前での実演CM)
※お地蔵様が物言わずに。。
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トタン被せ家屋も
街道沿い。
※空き地になったところも〜
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妻入りの傾斜の緩い広い屋根
街道自体が坂の中〜
※コナレ板に皮膚病の薬、はっとり薬局・
化学肥料・塩・たばこ
等のコナレ看板。。路地アイテム!
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有りました!
個人的に好きな
鰯の頭も信心から。。
※山行きの路地?
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2階部分の窓の高さが
低いのは街道の名残〜
案外、抜け道なのか?
車の通りが多いんですわ!
※街道の面目躍如!
絵に成る部分。。
Kさん如何??
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東海自然歩道の一部。
是非一度、自転車か歩きで
来たいものです〜
※自治会館。
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千鳥格子はないけれど
手前の御家も中々です。
2階部分の高さから考えたら
新しいんでしょうが〜
※見返れば〜
小さな坂の上の雲状態。。
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細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、
他領主との合宿を嫌った領主尾洲家が、
問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、
尾州家本陣大黒屋のはじまりである。
(HPより)
※登録有形文化財
コスモス揺れて秋模様〜
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看板は新しいが
ひさしに染み付いた
時代の年輪
※看板といえば
おお〜F4
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表玄関です
※ガラス戸を開けたら〜
衝立が。。
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本卯建
※おばちゃん
どちらも名物看板!?
いつまでもお元気で〜
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見返しても
溜息が〜
※本陣跡。。
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今有る御家は違うんですと。。
※ススキが手を振ってました。
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手摺付いた二階部分も中々
エエンデスワ。
※昔の面影も〜
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往時は賑わっていたんでしょうが〜
※力石?かとも思ったのですが〜
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やはり千本格子が
似合います。
※でも、大湫宿との違いは
注連縄が玄関にないことです。
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現在と伝統の
コラボレーション。
地域性のエエ所を
残してくださいね。
※枝道に池も〜
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池の横には
此処にも井戸が〜
※竜神さん?
被せの蓋に
塩が盛られてました。
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サイディング蔵
イメージを
残してくれています。
※宿場の裏に
水路が〜
昔は下水は此処に??
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ホウノキに
現在の道標が〜
※村社日吉・愛宕神社
森の中に〜
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足つきの神明鳥居
奥に本殿が〜
※前はニャンコの
溜り場。。
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明治44年建立の
石標
村社の文字はコンクリで埋められている〜
歴史遺産としては考えもんです。
旧漢字の岐阜県
弁護士の文字は
今でも使われている方が〜
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ニャンコに遊んでもらっています〜^^
※表と裏と〜
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漆喰無しの土蔵も好きですよ!
コスモスも手を振って〜
※軒下の拘り
綺麗な腕木の曲線
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袖壁横の
空間は展示スペース。。
※中々〜よろしいなぁ。。
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萩の花に秋の気配。。
※又来ますね!
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