古/いにしえの面影       其の五百七拾九

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 撮影日  2009年09月19日 土曜日

岐阜県瑞浪市大湫宿(中山道)T
海抜530メートルの高地に設けられ、江戸へ九十里半、京都へ四十三里半、
東隣りの大井宿へ三里半、西隣りの細久手宿へ一里半、美濃十六宿の中で最も高く、
それだけに急坂がつづいており、旅人も人馬役からも難所とされていた。
 宿内の町並みは、十三峠西端の寺坂を下りた北町から、白山町、中町、神明町、西町
までの東西三町六間(約340メートル)である。枡形は北町につくられ、
本陣は白山町の北側、問屋場と脇本陣は中町の北側にあり、
往還に沿ってつくられた細長い町並みであった。
 また家々の地割は六間半平均に正しく割られ、家々の境界にはすべて石積みの側溝が施されていて、新宿設置の様子がうかがわれる。今では、国道・中央自動車道・JR中央線などすべてが南麓の土岐川沿いに開かれた。
かって中山道の難所の一つとされた十三峠や西方の琵琶峠の沿道とともに、
本陣山の南麓に樹齢100年の神明神社の大杉を囲むようにして、
往時のままの姿をとどめている。
HP中山道倶楽部:参照

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

JR釜戸駅〜
ここより山に入っていきます。

※旧中山道沿いの民家。

宿場入り口の目印
灯篭〜

※石標

街道は、
なだらかにカーブして

※高札場も

見返っても〜

※残してや〜

大湫宿観音堂は
左の坂の上。

う〜ん
パス!

※エエですなぁ〜
大好きです。

宿の庭石だったんでしょうか?

※此処から細長い町並みが〜

本来の街道幅は
どうだったんでしょうかね?

※竹板や千鳥格子も〜
これの大きなものは
前に見ましたが…

有りました〜
私の好きなもの。。



白壁土蔵〜海鼠壁
網タイツ〜(いやいや)
犬除けと言う人除け。。。

庇が立派過ぎて
重みを吊っている
ヒンジ。。

宿場の
ランドマーク的、大杉!
詳細は後ほど〜

※後でね…後で。。。^^;

悠々と〜

※後ろ髪を引かれて〜

背の高い大湫宿山車庫

※横の路地も気になりますが〜

宿場の面目躍如〜

※千本格子が本当に綺麗。。

宿場中程の灯篭〜

※農家の庭??

エエですね〜

※江戸屋さん

注連飾りは
年中有るの??
伊勢みたい。

※板塀も好きですよ!
最盛期には〜
宿内の長さは、3町6間(約340m)、
戸数は70〜80戸で、
うち旅籠屋は35軒内外であった。

中山道大湫宿HPより

目を見開いたような
虫籠窓
目立ったでしょうね。
板塀に欄間様も〜

※堂々としたものです。

火消しの
用心桶

※奥は白山神社

ここも問屋場が有ったんですね。
滋賀の土山でも

※猫は知らん顔〜
にゃぁ〜〜〜

やはりこちらが街道沿いの
表の顔ですね。

※未だ行きたい所が〜
んで、パスしました。。
あれも注連縄??

おもだか屋さん
寄りたかったんですがね〜

※庭の石だったんでしょうか??

ここも玄関口に注連縄〜

※白木ですね
洗えば綺麗に成りそう〜
溜息が出る千本格子。。

宿の面持ちが
其のままに。。

※お土産やサン?
五平餅食べたかったですわ。

陣屋跡は学校に。。
本陣跡(旧大湫小学校校庭)



煙抜きに
千本格子、袖壁
綺麗に残されています。

※エエでしょ〜

すみません
石畳フェチナ私の趣味です。。



学校に子供の声は無く…
土曜日でした〜^^;

※ここの空き地も気になりますが。。

 大湫宿史の中で一番の大事件に挙げられるのが、文久元年(1861年)10月の
『皇女和宮御降嫁』である。
 相次ぐ外国船の来朝による鎖国か開港かの国難を乗り切るために考えられた
『公武合体論』によって「国のためになるのなら…」と、仁孝天皇第8皇女であった
和宮は、14代将軍徳川家茂のもとへ降嫁されることになった。和宮、この時16歳…
 10月20日京を発ち、9日目の同月28日に大湫宿に1泊、江戸へ向かった。
 御降嫁の行列は、朝廷から差副えの宰相典侍局(さいしょうてんじのつぼね)や生母観行院(かんぎょういん)などのお局・女官、中山・橋本・菊亭・坊城・千種・北小路・岩倉などの供奉公卿、それに若年寄加納遠江守以下の
幕府のお迎役ほかの供奉諸家らで総勢約5,000人。
 その行列の継立のために大湫宿に招集された人馬は、何と2万8千人と馬820頭。
 行列は、前後4日間に分けて連日行われ、合計3万3千人余の人々が、
宿泊・食事・行列をしたと文献に残されている。
 さて、その和宮は文久元年10月28日、大湫宿の本陣(旧大湫小学校校庭)に宿泊し、翌日大井宿(恵那市)を経て、中津川宿に1泊し、さらに三留野・上松・薮原・
本山・和田宿泊りといった道中で、11月15日無事江戸到着。
25日間、その間の継立は、人足約60万人・馬1万5千疋という大継立てが
終わったもので、古今・東西未曾有の大嫁入りの行列であった。
 和宮は道中、京を偲びながら、その胸中を次のような歌で詠んでいる

遠ざかる都と知れば旅衣
一夜の宿も立ちうかりけり
思いきや雲井の袂
ぬぎかえて
浮き旅衣
袖しぼるとは

中山道大湫宿HPより

バリバリの京女子が
東へ都落ちの心境やいかに。。



上の石碑は
校庭に有りました。

町並み保存
街道整備
現状保存?か開発か?
どこでも命題は多く〜

※整備は好感が持たれました。
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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