井路川が辛うじて
残っています。
※原風景は遠くなりにけり〜
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府道の横を通るたび
いつも気に成る所です。
※忠魂の碑
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扉が付いていたんでしょうか?
※多宝塔?が路地の奥から
呼んでいます〜
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府道を横切り
こちらの路地から〜
※いきなり農家路地
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振り返れば〜
車の所が府道です。
背高蔵〜
※水との戦い?
石垣材料が至る所に・・・
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百日紅が〜
夏の路地。。
※石材とキュウリが
ニラメッコ!
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北角に蔵が
ここら辺のスタンダード。。
※虫籠窓ではない
背の低い二階建て。
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少し休憩〜
もう休憩。。。
※ここも北角蔵
角石は唐臼〜
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大きくて
薄い造作の綺麗なものです。
※段蔵にも見えますが〜
御領は近くです。
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惚れ惚れしますわ〜
前に尼崎で見ましたなぁ〜
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行き過ぎて振り返っても
良い顔してます〜
※先へ〜
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ん?エエなぁ〜
白壁土蔵に
立派な楠。。
※楠(門真市の保存樹)
貴重な文化財です(ホントホント〜)
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この辺りのランドマーク
ゴミ焼却工場の煙突。。
ここも元井路川か?
※スベル!気をつけよう〜っと。。
先は中央環状線です。
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ん?此処も気に成っていました。
※中環の道路内に
鎮座しています。。
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こんな井路川が縦横無尽に
走っていたんでしょうね。
※ここは元野良道??
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喜左衛門 樋之跡
昔この辺りは排水の便が悪く寺方一帯十二箇村は打ち続く水害に
作物取れず農民の困窮ぶりは見るに忍びないものがあった。
寛永十一年(1634)当時南寺方村(守口)の庄屋喜左衛門は
意を決して四番村(門真)にあった樋門を、この地に移したため、
その身は官威を無視したとして翌年3月15日に処刑されるにいたった。
しかし農民の喜びと感謝は言うに及ばず樋門は『喜左衛門樋』と呼ばれ
以来三百余年この地域を水害から守り続けたのである。
因みにこの樋は私作樋で長さ四間二尺二寸内法一尺七分3年ごとに
修理される事などが決められていた。
ここに自己とその一族の犠牲をも顧ず農民の為に殉じた
悲劇の喜左衛門樋である。 石版刻
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昭和53年再建。。
大阪万博の昭和45年に
中環が完成しているので
それに伴い撤去されていたのでは?
※ここを入っていきます。
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見返れば〜
ランドマーク。。
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ここは街道沿い。。
※そこからの外れ〜
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この先は、当初の場所。。
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ねっ!
※トタン被せも〜
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煙り抜きも…
※ここもトタン被せ。。
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おお〜っ!
立派な石製蔵ですね。
関東では、よく見ましたが〜
※屋門も綺麗に〜
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稗島自治会館
ん?エエモン見っけ!
枝切街道なんですね。
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明治24年製のお洒落な灯篭〜
ガス燈だったのでしょうか?
菜種油のランプだったんでしょうか?
※妙見宮
右 守口・吹田
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左 なら・野崎
やはり信仰の道
なんでしょうか?
※緑青をふいてますが〜
綺麗に残されています。
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地蔵堂も〜
※突き当りで見返れば〜
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石の蔵も
お洒落な造り。。
サイディングしてませんか?
※成覚寺さん前の
立派な地蔵堂
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成覚寺さんの本瓦が
笑っていました。
※路地を進みます。
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エエ路地でしょ〜 |
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