其の五百九拾
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
江戸時代初期、大坂の豪商であった「淀屋」は、俗に言う先物取引 の創始者ともいうべき存在で、米を中心とする商いで財を蓄えた。 しかし、封建制度を揺るがしかねないとして幕府の危機感をあおり、 質素倹約令に背いたとされ闕所(財産没収、大坂所払い)となりました。 そして淀屋で番頭を努めていた牧田仁右衛門なる人物が故郷である倉吉で商いを始め、 「伯州倉吉千刃」稲扱千刃(いなこきせんば). の産業を含めた米の売買によって「淀屋」を再興しました。 代々「淀屋清兵衛」と名乗った牧田淀屋は倉吉の特産であった 稲扱千刃を全国に普及しながら、かつての勢いを取り戻すかのような財を築いたといわれています。 。 (倉吉市観光協会HP参照)