祭神は速須佐之男尊、天照大御神、豊受大御神。
創祀は不詳で、古くは牛頭天王社、祇園社などと呼ばれていた。
※天明7年(1787)光格天皇の、嘉永元年(1848)に
光明天皇の両大嘗祭に、当社拝殿が悠紀斎田抜穂調整所となった。
また、明治元年(1868)旧暦9月22日、明治天皇御東幸御駐輦の時に、
当社境内が内侍所奉安所にあてられた。
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唐臼?軸受けは有りませんが…
※結界柱〜
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小判草満開?
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自然石を意識した?
常夜灯。。
※杉木立に囲まれた境内。。
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蝉時雨には未だ早い季節でした。
街道よりの参道〜
※山の神も
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後ろの正面〜
※石油ショックもなんの其の〜
町道は町民の悲願。。
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7月第3日曜日に行われる「土山祇園祭花傘神事」は
祇園祭の前宮祭と呼ばれ、
大字南土山十四組ごとに奉納された
花傘から花を奪い合う「花奪い行事」が行われる。
これは、承応3年(1654)に復興されたと伝えられ、
滋賀県選択無形民俗文化財になっている。
奪った花に札がついていた人は、その札を福袋に交換し、
家族仲良く家路につく。
血止の洗場なんですが…
関係有るんでしょうか?ググッテも分かりません〜
※注連縄が気に成って〜^^;
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宮西橋欄干
実際の橋より立派!
※水路です。。
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社務所〜
※土俵も〜
宵宮は18時から始まり、大道芸、コーラス、稚児
一升餅上げ(力石の原型?)、豆力士 泣き笑い相撲大会、
ミュージカル・オペラ座の怪人・日本歌曲、ビンゴゲームがあります。白川神社さんと相撲の関係は江戸時代に、お茶を作る若衆が地方から土山に来て、
お茶とお米の豊作を祈願して、土山の若衆と宮相撲を行ったといわれています。
その伝統で土俵もあり、生後6か月から3歳ぐらいの子どもさんの
泣き笑い相撲として残っているんです。
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四方につっかえ棒の有る
拝殿
※宝物庫
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水神が鎮座する手水場
※其の屋根瓦の龍〜
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破風付きの
桧皮葺の屋根が立派に!
※うっとりしますよね。
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拝殿横からのベストショットかも?
※木製戸板も錠前も素敵に。
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此処にも水神様
※注連縄(蛇状ですね)
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ピンポンさんソソリマセン??
※新品のようなタイヤが。。
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干支瓦
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え〜っと。。。
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綺麗な木目の〜
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素足で玉石踏んで〜
土踏まずも刺激して〜
※軒下にも職人の拘りが〜
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北海道十勝国帯広町
(郡市は未だなし)
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