古/いにしえの面影       其の五百弐拾

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 撮影日  2007年05月04日 金曜日
大阪府守口市佐太神社
東海道五十三次京都から大阪間は
三十石舟以外の陸路も…
宮司さんからは道真さんも
チョコチョコ舟で寄られたとか~
追加で枚方・枚方2守口宿なんて前に有りますが~
(ついでが有れば見てくださいな!)

創建の年代詳かならざれども此の地は道真の領地なりしかば
左遷のとき都の噂此の地方まで喧しかりし故
この所を沙汰と名づけ、且つ、諸民其の徳を慕いて
別れを惜しみしを以て身づから其の像を彫刻して
残しゝを齋き祭れるなりといふ。(大阪府志)

またまた古いデータを引っ張り出して~スミマソ。。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


守口向けて~
ブラキオサウルスの様な
歩道橋。。

神社近くにもイニシエが…

野崎・星田
佐太天満宮一丁って
移築されたんでしょうね。

※守口一里・京橋三里
万延元年(1860年)
14代徳川 家茂(とくがわ いえもち)ですって

河陽(淀川)佐太社御広前

※永代常夜燈

昔は淀川に
船着場があり
其処から真直ぐに
参道が続いていたとか
旧の淀川堤横には
旅籠が残っていたとか。
(宮司さん談)

※ん?境内直に御旅所~

石鳥居も
注連縄も堂々と。。


参道横の稲荷社

拝殿は1643年(慶安元年)当時の淀城主永井氏の再興による。
神社の方の話では数年前、拝殿の改修工事の際、
天井裏の梁のところから慶安当時の寄進者の名前を書いた額が見つかったが、
大名である永井氏と並ぶ文字の大きさで、商人である淀屋の名前が書かれてあり、
その力の大きさが伺えるとのことであった
(HP大阪再発見参照&宮司さん談)

※本殿が見え隠れ~

神使牛~
砂岩製ですね。
剥がれた所はロースハム(失礼)

※ホンニ~失礼しちゃう!と。。

ドウでもええやん~
とイケ面、兄ちゃん。。

※銅製の鋳物ですね。

この広い背中~
憧れますわ。。

※えっ?大きな御腹???^^;

宮司さんが
色々教えて下さります。

※献灯も~

窓の灯の
佐太は未だ寝ぬ時雨かな
蕪村

※「大阪は痰壷」発言の
文部大臣時代の
森 喜朗筆

筆塚

蕪村さんと偉い違いや~~~!

黄菖蒲の時期
花盛り!

※キジバトも~のんびりと

本殿裏から~

※この先が淀川なんですわ~
天神浜は、佐太の渡し場であり、
年貢米の積み出し場だったとか。

佐太来迎寺さん
築地に沿って佐太陣屋の石垣が
残されているとか~
今度行ってみよう。

※気になりますがね。。

国道1号寝屋川バイパス沿いなんです。

※灯篭に灯が入りました。
変わるものと変わらんもの~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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