守口向けて~
ブラキオサウルスの様な
歩道橋。。
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神社近くにもイニシエが…
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野崎・星田
佐太天満宮一丁って
移築されたんでしょうね。
※守口一里・京橋三里
万延元年(1860年)
14代徳川 家茂(とくがわ いえもち)ですって
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河陽(淀川)佐太社御広前
※永代常夜燈
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昔は淀川に
船着場があり
其処から真直ぐに
参道が続いていたとか
旧の淀川堤横には
旅籠が残っていたとか。
(宮司さん談)
※ん?境内直に御旅所~
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石鳥居も
注連縄も堂々と。。
※
参道横の稲荷社
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拝殿は1643年(慶安元年)当時の淀城主永井氏の再興による。
神社の方の話では数年前、拝殿の改修工事の際、
天井裏の梁のところから慶安当時の寄進者の名前を書いた額が見つかったが、
大名である永井氏と並ぶ文字の大きさで、商人である淀屋の名前が書かれてあり、
その力の大きさが伺えるとのことであった。(HP大阪再発見参照&宮司さん談)
※本殿が見え隠れ~
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神使牛~
砂岩製ですね。
剥がれた所はロースハム(失礼)
※ホンニ~失礼しちゃう!と。。
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ドウでもええやん~
とイケ面、兄ちゃん。。
※銅製の鋳物ですね。
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この広い背中~
憧れますわ。。
※えっ?大きな御腹???^^;
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宮司さんが
色々教えて下さります。
※献灯も~
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窓の灯の
佐太は未だ寝ぬ時雨かな
蕪村
※「大阪は痰壷」発言の
文部大臣時代の
森 喜朗筆
筆塚
蕪村さんと偉い違いや~~~! |
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黄菖蒲の時期
花盛り!
※キジバトも~のんびりと
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本殿裏から~
※この先が淀川なんですわ~
天神浜は、佐太の渡し場であり、
年貢米の積み出し場だったとか。
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佐太来迎寺さん
築地に沿って佐太陣屋の石垣が
残されているとか~
今度行ってみよう。
※気になりますがね。。
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国道1号寝屋川バイパス沿いなんです。
※灯篭に灯が入りました。 |
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