古/いにしえの面影       其の五百拾七

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 撮影日  2007年05月04日 金曜日
大阪府枚方市出口御坊
東海道五十三次京都から大阪間は
三十石舟以外の陸路も…
追加で枚方・枚方2守口宿なんて前に有りますが〜
(ついでが有れば見てくださいな!)
蓮如は出口を拠点として、近畿地方の道場を経廻して、教法を広げたいと思った。
出口は淀川の南岸に有り伏見と大阪の中間に当たる。
北には山崎男山があり、西には勝尾の高嶺があり、遠くに摩耶があり、
東には金剛山がかすみ、生駒の山々を集めた景色のよいところであった。
その地にかなり大きな沼があった。それを埋めて一宇を建てた。
(注)丹羽文雄著「蓮如」(中公文庫)

寺内町ですかね。
またまた古いデータを引っ張り出して〜スミマソ。。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


路地から見える
大屋根向かって

※綺麗な鐘楼が〜

『光善寺』京阪の駅名にもなっています
淵埋山(まんまですね)出口御坊 光善寺さん
由来は浄土真宗、中興の祖として知られる
本願寺八世蓮如上人の開基された由緒あるお寺である。
文明7年(1475)の8月、北陸吉崎を退去された蓮如上人(61歳)が、
海路若狭小浜に上陸、丹波路づたいに
河内の国茨田郡中振の郷・出口に移られました。

(ふるさと枚方発見より)

蓮如上人腰掛石案内石碑
指差し確認
良し!


本堂です
本堂は天文3年(1534)に火災に遭い、一時、川向こうの摂津鳥飼などに移転していましたが、慶長年間に再び出口に戻って再建されました。現在の本堂は370年前、寛永14年(1637)の建築です。最盛期は十指に余る末寺を抱えていましたが、時の移り変わりと共に、今は境内も3,000坪の敷地になっています。
(ふるさと枚方発見より)

※大屋根(本瓦)にウットリと。。


蓮如上人落歯懐紙
南無阿弥陀仏の文字も

※築地の幅も

石畳に古の人の息吹が〜
信仰の力。。

※南無地蔵尊
この辺りの地蔵様を合祀して。。

鳩除け
網が。。

※飾り瓦に波と神鹿?

カラスが寛いで〜

※ニャンコも・・・

大屋根が見事!

※ランドマーク的な
大きな楠

山門の本瓦も見事に。。

本堂下の敲き。

六藤紋

※綺麗に〜

本堂の桟も〜

※碍子に拘り

隣のマンションと比べても
大きさが分かりますよね〜

※堂々と〜

蓮如上人腰掛石
蓮如上人が来られた頃の出口には、
わずか9軒しかない小さな村落でした。
上人はこの出口の村人にも親しく法を説かれ、
現在も出口の中央部に上人が腰をかけて語られたという、

(ふるさと枚方発見より)

※御田地
変わるものと変わらんもの〜
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
ページトップへ戻る
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.