怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
撮影日 2008年03月27日 木曜日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大阪シリーズ
元和年間(1615〜24)の都市整理で当地へ墓地が移され、 刑場も置かれて大坂七墓 「千日・鳶田・小橋・蒲生または野江・浜・梅田・吉原」の一つとなった。 阪堺線南霞町駅南の一帯で約6〜7反ほどが墓域、 その東に無縁仏を埋葬した100坪ばかりがあったとされる。 (西成区HPより) 太子地蔵は、墓地にあった有名な地蔵で、柔和な顔は慈悲にあふれている。 大阪七墓のひとつ。刑場でもあった。 1838年9月18日大塩平八郎以下の首謀者が磔刑に処された。 ただし、その時生存していたのは竹上万太郎だけで、 他の18名はいずれも塩詰の死体であった。 (大塩事件研究会 資料から)
またまた古いデータを引っ張り出して〜
変わるものと変わらんもの〜
いつまで知った景色があるのやら。。
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